【よそはよそ、うちはうち】「母子家庭かわいそう」と言われた私の気持ち

陰口・噂話をする女性




こんにちは、母子家庭育ちのライターです。※私(どん兵衛)のツイッターアカウントはこちらです、お気軽にフォローください。

中学生の頃に母子家庭になった私ですが、周囲から言われてきたこと、あるいは暗にそう言われてきたことがあります。それが、

母子家庭なんてかわいそう

です。

今回はかわいそうと言われた私の経験を基に、「母子家庭の子どもがかわいそうなのかどうか」考えてみていただけると幸いです。

たぬぽん
自分の子どもがかわいそうなんて言われていたらと思うと…。
きつねん
でも、母子家庭の子どもって本当にかわいそうなのかな?
たぬぽん
そこなんだよね…。今回も母子ログ運営者のどん兵衛さんの話を聞いてみよう!

 

かわいそうと言ってくるのは、ほとんど「よその人」

陰口・噂話をする女性
よそはよそ、うちはうち

この言葉は多くのお母さんお父さんが子どもに対して言い聞かせてきた言葉なのではないでしょうか。

私は小さい頃、何かを両親にねだる度にこの言葉を言われて、おねだりが失敗に終わってきました(笑)

「いや、よそはよそなのはわかるけどさ…」、これが小さい頃の私の声でした。

そして、母子家庭になった私に「母子家庭なんてかわいそう」と言ってくるのは、ほとんどがその「よその人」でした。

面と向かって「君、母子家庭なんてかわいそうだね」とはさすがに言われたことはありませんが、よその親同士のひそひそ話だったり、「大変ねぇ」という言葉に置き換えられたりして、暗にかわいそうと言われていました。

 

ひねくれものの私が思った本音と至言

段々と怒っていく男性のイラスト

母子家庭になった時の私はすでに中学生でしたから、かわいそうと言ってきた大人たちに対して、表面上は「大変ですよー(笑)」なんて言って、その場を保っていました。つまり、うまいこと愛想よくできていたのです。

しかし、内心では「よそはよそ、うちはうち。あんたたちよその人には関係ないし!」なんて思っていましたね(笑)

当時の自分はなかなかひねくれているなぁとも思うのですが、『よそはよそ、うちはうち』で育ってきた私にとっては、よその人からの同情が大きなお世話に思えたのです。

そして、この『よそはよそ、うちはうち』という言葉は、後の私の至言となります。

 

良い意味でよそに無関心になった私

悲しむ子ども白黒

今でこそ、よそのうち(母子家庭のお母さんやお子さん)の方向けにこうやって記事を書いている私ですが、基本的には「よそに対して無関心」です。

「よその家庭のことには、ある程度距離をとるべきであり、下手によその人間が足を踏み入れるべきではない」と思っています。

別記事:【共感の声多数】母子家庭の子どもを結びつける「母子家庭センサー」とはにて、他の母子家庭の友達との交流について書かせていただいたものの、彼らと接する時の私はとても慎重でした。

母子家庭にはそれぞれの事情があり、それぞれの家族の形があると私はわかっています。

でも、もし可能ならば、私はそういった状況にある友達と仲良くしたかった。下手に勘ぐるようなことはしないし、かわいそうなんて思うわけもない。だって、自分が「かわいそう」と言われて嫌だったから(笑)

相手を傷付けないためにも、はじめは無関心というスタンスをとりますが、お互いに「この人なら話したい、友達になれる」と感じれば、徐々に打ち解けられるように努力してきました。

世の中で生きていく上では、関心があり過ぎるのも困ったものです。人間関係は『よそはよそ、うちはうち』のスタンスで、はじめた方が良いと私は感じています。

特に今回のように母子家庭の子ども(私)にとっては、ずかずかと家庭の問題に入ってこられるのは不快でしかありません…。



 

言われて考える、自分がかわいそうかどうかということ

部屋の隅で暇そうにしている男性

母子家庭であることを私個人は気にも留めていませんでしたが、よその人から「かわいそう」と言われると、「あれ俺ってかわいそうな子どもなのかな…?」と考え込んでしまったことがあります。

言葉の力は凄いもので、自分でそう思っていなくても言葉を発したり、聞いたり、頭の中で反復するだけで、段々とその言葉通りの気持ちになってしまうんですよね。

ですからかわいそうと言われた10代前半の私は、段々と「自分がかわいそうで惨めな子どもなのではないか」と悩んだ時期もありました。ありましたし、10代後半に経済的な事情で悩んだ時にも、「やっぱり俺はかわいそうな子どもだったのかもしれない」と思ってしまったこともありました。

 

子どもだけが知る答え、かわいそうかどうかは自分で決めること

花瓶に入ったバラの花束

かわいそうな子どもと思ってしまうこともあった私ですが、その度に思い出される言葉がありました。

それが、

『よそはよそ、うちはうち』だったんですね。本当にこの言葉には何度も救われています。

かわいそうかどうかは子ども自身が判断することであり、よその人から言われて決めることではありません。

母子家庭ということで、両親がいる家庭よりも苦労することが多いのは事実かもしれません。しかし、それでかわいそうだということにはならないでしょう。

恵まれない境遇にあっても、そこから自分なりのせや功を見つけることは必ずできます。そして、それら幸せや成功の基準も自分で決めることです。

 

まとめ:あの日の両親よ、『よそはよそ、うちはうち』をありがとう

子どもにとって『よそはよそ、うちはうち』という言葉は、一見すれば理不尽な言葉のようにも思えます。

しかしながら、この言葉により私は、私自身の境遇について私自身で考えることができ、私自身で結論を出すことができるようになりました。よそからの余計なお世話もシャットアウトすることができています。

だから言いたい、母と離婚した父にも対しても(笑)

「あの日の両親よ、『よそはよそ、うちはうち』をありがとう」、と。




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